社会

中学生に戦前の政治を簡単に説明する為に調べたこと~その1~

みみずく
みみずく
中学校の歴史でも勉強するワードの「藩閥政治」、「政党政治」、「第一次護憲運動」、等が具体的にイメージできなかったので、近代の内閣の仕組みを調べて簡単にまとめようと思います。

1日でまとめるのは難しいので、複数回に分けます。

第一回は近代の内閣に関係する事件の年表と、重要ワードの説明です。

近代の内閣についての大まかな流れ(年表)

1867年10月14日 大政奉還
1867年12月9日 王政復古の大号令
1868年(明治元年)1月 戊辰戦争勃発
1868年3月 五箇条の御誓文
1869年 版籍奉還
~近代化への変革~
~一揆多発~
1874年 民選議員設立の建白書
~自由民権運動~
1875年 漸次立件政体樹立の詔
~裁判制度の整備~
~議会開設の準備~
~言論運動の取り締まり~
1877年 西南戦争
1880年 国会期成同盟結成
1881年 国会開設の勅諭
1885年 内閣制度制定
※この時の内閣は議会の承認を得て政治を行うものではなかった
1889年 大日本帝国憲法発布
当初は議会と内閣が対立→しだいに歩み寄りへ
1898年 伊藤博文が憲政党の最高指導者、大隈重信と板垣退助に後継内閣の組織にあたらせるよう主張。藩閥の反対派を押し切ってそれを実現。

第一次大隈重信内閣成立。政党政治の始まり

~政党と藩閥が牽制し合いながら政治を行う~
1900年 伊藤博文が立憲政友会を結成。第4次伊藤内閣発足。

※藩閥の伊藤が政党の後ろ盾を得て内閣を組閣した。

1912年 立憲政友会の内閣が陸軍の要求を認めなかった為陸軍の抵抗を受けて総辞職、変わって陸軍大将の桂内閣が成立。

これに対し政党政治家や言論人が閥族打破、憲政擁護をとなえて桂内閣打倒の運動をおこした(第一次護憲運動)

~民本主義運動~
1918年 米騒動から内閣が避難をあびて総辞職
~もはや政党内閣でなくては内閣を維持できない状態~
1918年 立憲政友会の総裁原敬が元老の推薦で総理大臣になる。

陸軍、海軍、外務大臣以外の閣僚を立憲政友会から選ぶ。

※本格的な政党内閣となる

~五・一五事件まで政党内閣が続いた。~

ただし、議員内閣制が憲法上に制度化されてはいなかった。

議院外の軍部や枢密院等も大きな力を持っていた。

選挙の結果で政権交代が行われることはほとんどなかった。

政党対立で汚職等も発生→政党政治排撃の動きが出る。

1932年 五・一五事件
海軍大将斎藤実総理大臣のもと、軍部、官僚、政党、貴族院等それぞれの勢力から官僚を選んで組閣。
1936年 二・二六事件

陸軍が政治の主導権を握る流れへ

みみずく
みみずく
戦前の内閣を理解する為に、中学校の教科書にはない事柄も載せました。

・参考文献

created by Rinker
¥1,760
(2021/12/02 04:20:35時点 楽天市場調べ-詳細)

重要ワード

新政府

明治維新後の新政府は薩摩、長州、土佐、肥前の4藩と公家の人が中心に政治を担いました。
つまり、明治維新後しばらくは単純に討幕の中心となったメンバーが政治の実権を握っていました。

みみずく
みみずく
大政奉還(政権確定)→王政復古の大号令(政治体制確定)→戊辰戦争勃発(反対勢力との衝突、勝利)
の流れは、
江戸幕府の始まり
関ケ原の合戦→江戸幕府開府→大阪の陣 の流れに似ていると思います。(からくりみみずく私見)

藩閥勢力

議会政治が始まっても、行政は薩摩、長州、土佐、肥前の4藩と公家の人が中心の、明治維新から政治を担ってきた勢力に属する人々が中心に行っていました。この勢力を藩閥と言います。

政党

藩閥の後ろ盾を持たない人や、新政府内の意見対立に敗れて政府を去った人たちが、自分の政治思想を広め、共感する人を集めてグループを作りました。そのグループを政党と言います。

みみずく
みみずく
「その2」に続きます。また、この記事も適宜更新します。

~気軽に基礎教養を身につけたい人へ~

中学講座ですが大人も入会できて、小4から大学受験生までの講義動画が見放題です。
親子一緒のお勉強にも使えますね!
からくりみみずくは学びなおしに利用しています。

14日間無料なので、見たいテーマだけ視聴するなら無料期間の利用で間に合います。ちょっとおススメです。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA